登山家の栗城史多さんは、世界最高峰のエベレスト登頂に幾度となく挑戦し、凍傷で手指を9本失い、最後は2018年に滑落死した。栗城さんは入山料だけで数百万円という費用をどのように工面していたのか。本人に取材した河野啓さんの著書『デス・ゾーン』(集英社文庫)よりお届けしよう――。
エベレスト
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政財界の要人の名刺は「レアカード」

ヒマラヤは春(4月、5月)か秋(9月、10月)に登るのが一般的である。夏は気温こそ緩むが雨季なので、雪の日や雪崩が多い。冬は気温が下がり、ジェット・ストリームが吹き荒れる。いずれも登山には不向きだ。

必然的に、栗城さんが日本にいるのは夏と冬になる。

栗城さんの事務所は、札幌の中心部から車で15分ほどの好立地にあった。学校の校舎のような横長の形をした古い鉄筋4階建ての2階に入っていた。札幌市がクリエイターやベンチャー企業を支援するために出資した財団法人が管理するビルだった。2DKで家賃7万円と格安だったのはそのためだ。1階には入所する人たちの交流スペースもあった。

事務所にいるときの栗城さんは、カトマンズのボチボチトレックに国際電話をかけて、次の登山の準備状況を確認する。全国各地の講演会で交換した何百枚もの名刺を整理することもあった。「中にはレアカードもあるんですよ」と、政財界の要人の名刺をいくつか私に見せてくれた。

会社の収支も自分で管理し、帳簿には「現在不足金額」と赤の太文字で書かれた項目もあった。携帯電話がひっきりなしに鳴る。聞かれてはマズイ話もあるようで、そういうときに私が居合わせると「あ、どうも、はい、はい」と携帯電話を耳につけ、しゃべりながら、登山用具が置いてある別室へと消えていった。

山を下りてからの方が、栗城さんは忙しいのだ。

「僕の登山は総合格闘技」

登山は山に行くことができて、初めて成立する。当たり前といえば当たり前だが、そのために企画書を作り、人脈を広げ、スポンサーの獲得に励むのである。これは大変な芸当だと気づかされた。

営業マン、プロデューサー、出演者……何役も兼ねた自分の登山スタイルを、栗城さんはこう表現した。

「これは総合格闘技ですね」

彼が放つキャッチコピーにはキレがあった。