「宮本常一の民俗学は、私たちの生活が『大きな歴史』に絡みとられようとしている現在、見直されるべき重要な仕事」だという民俗学者の畑中章宏氏による『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』が刊行された。
『忘れられた日本人』で知られる民俗学者・宮本常一とは何者だったのか。その民俗学の底流にある「思想」とは?
「小さな歴史」の束から見えること
日本全国を歩き、人びとの話を聞いた宮本常一。聞き集めた「小さな歴史」の束から見えてくるものとは——。
〈宮本は日本列島をすみずみまで歩き、多くの人びとから夥しい数の話を聞いた。民俗学はもちろん、人類学や社会学でもフィールドワークは調査研究の重要な手法だが、宮本のそれはほかの調査者たちとどのように違うのか。宮本は自身のフィールドワークをふまえてこんなふうに記している(「あるいて来た道」『民俗学への道』著作集版より要約)。
さまざまな差が見られる村の風物には、それぞれの歴史と理由をもち、私たちの生活意識の表現でないものはない。このような村里の風物に接することにより、私たちはそのなかに含まれた意味を汲みとらなければいけない。自分の知っている世界だけが世界のすべてではない。知らない世界、考えのおよばない世界が、そのかなたに無限にかくれている。村に入り、民家の人たちと言葉を交わすことによって、表現せられる物象の底に潜む生活意識と文化を知ることができる——。
ここで宮本は、「世界」という言葉を使っているが、「世間」という言葉を用いることも多い。「世間」は宮本が、その民俗学の対象とした人びとが暮らす社会を指し示すのにふさわしい言葉であり、そこから読み取れることは少なくない。〉(『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』より)
「世間」という言葉をネガティブな意味合いで使うことも多々あるが、『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』では、宮本は「世間」に独自の意味を込めて使っていたことも記されている。