社会にとって「寄生者」とは誰のことなのか?
二〇二三年三月二十六日(日)、ジュンク堂池袋本店にて、『食客論』(星野太)著の刊行を記念して、『不審者のデモクラシー』などの著書のある政治学者の山本圭さんと対談していただきました。
そのトーク「パラサイトとは誰か?」を三回にわたって掲載いたします。
第二回は大学キャンパスの変容、山本さんの「食客」経験から政治哲学、現代思想で問題になった「政治的なもの」をめぐってお話していただきました。
※第一回「現代社会の「寄生者」とは誰のことなのか? パラサイトの政治思想を探求する」を読む。
大学は雑多な空間だった
山本 とりわけ近年は、不審者のような存在をなかなか許してくれない不寛容な社会になっているのではないか。監視カメラの技術も発展していて、マスクをしていても身体の動きだけで個人を特定する技術も今後どんどん広まっていくでしょう。あとはやはりマイナンバーカード。「おまえは何者なのか」と絶えず問いただしてくるような風潮を大きく指摘できるかなと思います。
よく言われることですが、大学のキャンパスはさま変わりして、ひょっとしたら今、五十代、六十代の方が経験されたキャンパスとは全く別物になっているのではないでしょうか。私が学部生の頃はまだ室内で煙草が吸えましたが、院生の頃には外にある喫煙所以外では禁止になりました。お酒はまだ飲んでいたかな。院生室には空き缶や空き瓶が転がっていたし、そういう雑多な空間でしたよね。今となっては、ほとんどのキャンパスで禁酒、禁煙が徹底されています。
星野 僕も、山本さんとほとんど同じような経験をしてきたと思います。自分が学部のころはまだギリギリ駒場寮があって、学生じゃない人がキャンパスをうろうろしているのはむしろ普通の環境でした。
山本 八回生とか平気でいましたよね。
星野 本当にそうです。駒場寮は僕が大学に入った年に封鎖されたので、その空気をギリギリ体感できたという感じでした。今の大学のキャンパスは、全体的にクリーンになったという意味ではいい面もあるんだけど、全体的に予想不可能なエンカウンターが減ったという感じはしますね。大学がそういう仕組みをつくることも大切ですが、何だかよくわからない人がたくさん歩いているキャンパスのほうが絶対いいと思っている。
山本 研究面でも、1年間で何をしたのか細かく報告させられます。できれば外国語のアウトプットで、査読つきだとなお望ましい。こういうトークイベントとかは業績のギョの字にもならないので、とりあえず「その他」みたいなカテゴリーに入れる(笑)。
研究者が登録しているリサーチマップというのがあるんです。僕も自分のやったことを全部記録するように積極的に使っていて、とても便利になったし、最近は科研費の申請や大学教員の公募でも活用されている。
もちろんたくさんいいことがあるんですけど、あれによって、何をしている人なのかが一目瞭然にわかるようになってしまった。かつて大学には、何をしているかよくわからない先生がごろごろいたと思うんです。あとになって、実は立派な先生だったことを知るみたいな。本当に何もしていない人もたくさんいるんだろうけど、各教員の業績が、しかも数でバンと可視化されてしまうことは、長期的に見ていいか悪いかわからないけど、大きな変化を感じるところです。
星野 たしかに、自分が学生だったころに尊敬していた先生も、けっして業績がある人ばかりではなかったですね。ふだん何をしているのかよくわからないけれど異様な風格があったり、詩集を出しているという噂があったり、むしろ、そういう人が尊敬を集めていました。