順風のゼネコン辞めて独立したが…見失った原点、客が教えてくれた

有料記事カイシャで生きる

松田史朗
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カイシャで生きる

 順調だった会社員人生。ところが独立して自分の会社をもつと、次々と不運に見舞われた。

 神奈川県横須賀市に住む多賀淳一さん(58)は、「子どものころから独立心が旺盛だった」と振り返る。幼少期から漠然と商売人になるのを夢見て、「大学を出たらまず商社に入る」と決めた。

 しかし、大学に入るために2浪し、東京のマンモス私立大に入ったものの今度は留年。結局、ストレートで大学に入学して卒業した人よりも、社会に出るのは4年遅れた。

 そんな自分を受け入れてくれたのが、自由な社風の中堅ゼネコンだった。

 まず、配属されたのが経理部。「上司は昔の刑事ドラマに出てくるような、社内でいつもサングラスをかけ、怒鳴ると迫力がある人だった」

 この上司の人間性に興味を抱き、「まぶしいんですか」と突っ込むと、苦笑いしながら受け入れてくれた。

 ただ、経理部の仕事は数字を追うばかりでおもしろくなかった。「もっと人とつきあえる部署へ」。こう希望を出すと、大阪本社の営業部へ転勤が決まった。

 「自分は営業向き」。すぐにそう思えた。人に対する好奇心は尽きることがなく、知らない人と話すのもまったく苦にならなかった。

 ただ、業界の営業は世間一般の常識が通用しない世界だった。当時、一部のボスが仕切る「ダンゴウ」と呼ばれる慣習も、業界で横行していた。

 だが、ためらいはなかった…

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