佐々木康裕さんが「死ぬまで手放さない一冊」。人生すごろくの盤を拡張してくれた星野道夫の生き方

佐々木康裕さん

撮影:伊藤圭

周囲の意見に惑わされず、自分が信じる道をいく人たち。しかし、迷いなく見えるその人にも、人生やキャリアに悩んだ瞬間はきっとあるはずだ。そんなとき、道しるべになった本とは何なのか。

連載「あの人が死ぬまで手放さない一冊」では、当時を振り返ってもらいながら、その本から影響を受けたポイントや考え方の変化、読みどころなどを紹介する。

第4回は、デザイン・イノベーション・ファームTakramでビジネスデザイナーとして活躍しながら、スローメディア『Lobsterr(ロブスター)』を手がける佐々木康裕さん。著書・共著には『D2C』『パーパス 「意義化」する経済とその先』『いくつもの月曜日』などがあり、彼が持つ“先を見る目”に刺激を受けてきた読者も多いのではないだろうか。

佐々木さんが「死ぬまで手放さない一冊」として選んだのは、写真家・星野道夫の著書『長い旅の途上』だ。

51XDTN90QAL

amazon

アラスカの大自然、そしてそこで生きる動物や人々を愛した写真家・星野道夫。彼はこれまでに多くのエッセイや写真集を残しており、『長い旅の途上』は星野の遺稿集として編集された1冊だ。

今もなおさまざまな“冒険”を楽しむ佐々木さんは、人生の節目節目でこの本の影響を受けてきたと言う。

写真部で出合った星野道夫の世界

高校まではサッカーに励んでいた佐々木さんだったが、大学では写真部に所属。撮影に明け暮れる日々を送っていた。

いかに人が行かなさそうな場所に行って写真を撮って来られるか。誰も言葉に出さなかったが、「群れたくない」人が集まった写真部では多くの人がそんな意識を持っていた。アラスカに根を下ろし、大自然と共に生きた写真家・星野道夫の存在を知ったのは、その頃だった。

230427_34

撮影:伊藤圭

「好きな人の中で、秘境系の旅人+写真家+エッセイストみたいな人が何人かいて、星野さんはその中のひとりでした。最初は写真集から入ったのですが、エッセイも素敵だなと思って何冊か読んで、この本はその頃に出合った1冊です」

星野道夫を始めとした写真家の影響を受け、冒険心が日増しに高まる。アラスカへ行きたい気持ちも山々だったが、写真部内で1〜2カ月ほどインドへ行くことがちょっとした流行になっていたため、20歳の誕生日をガンジス川のほとりで迎えることに決めた。

インドではどんな体験をして、どんな写真を撮って来られるだろうか。期待と不安が入り混じる中、バックパックに100本近くのフィルムを詰め込んで、インドへと旅立った。

だが、そこで待っていたのは、インドの“洗礼”だった。

shutterstock_2293462729

聖地バラナシ。

meunierd / Shutterstock.com

飛行機でデリーへ到着した後、夜行列車に乗り、十数時間かけて聖地バラナシへたどり着いた。日付はすでに変わり、20歳の誕生日を迎えていることに気付く。急いでガンジス川へ向かおうとすると、ひとりの可愛い子どもが目の前に現れた。「案内するよ」と言うのだ。

言われるがままに着いていく。どこへ行くのだろうと思いつつ足を進めていた矢先、あることに気づいた。目の前に道がないのだ。振り返ってみると、10人ほどの屈強な大人達が背後を塞いでいた。中にはナイフを持った男もいる。

心拍数が急激に跳ね上がる。感じたことのない“危険”が数メートル先に迫っていた。一触即発の状態の中、「金を出せ」と聞こえた。一刻も早くこの場から解放されたい一心で、払えるだけの金を渡した。

「なんとか解放してもらえたんですけれど、その日はもう怖すぎて、ホテルの部屋でずっと体育座りしていましたね……」

翌日、危険な目に遭わないことだけを祈りながら、今度こそ無事にガンジス川へ辿り着いた。

慎重に、そっと川へ足を踏み入れた。足に触れる骨のような感触に怯えながらも、少しずつ平静を取り戻し、ようやくインドの景色がはっきりと目に映るようになってきた。

川沿いの火葬場からモクモクと立ち上る煙や、川をそのまま流れてくる遺体の姿が目に入る。日本で暮らしていたら決して目にすることのないさまざまな光景に、ただ衝撃を受けた。同じ地球に生きているはずなのに、こうも違うのかと。

バックパックに詰め込んだフィルムが残っている限り、写真を撮り続けた。現地の空気を肌で感じ、シャッターでその瞬間を切り取った。行った国は違えど、星野道夫を始めとした写真家の背中を追う中で、自分が見ている世界だけが全てではないと知った。

shutterstock_89893864

アラスカの大地に生きるヘラジカ(ムース)は本書で何度も登場する。

NancyS / Shutterstock

帰国してから現在に至るまで、佐々木さんはふとしたときにこの本を読み返し、自分がいる場所とは違う世界に想いを馳せていると言う。「思い立ったら適当にパラパラめくって、目に付いたところから読み始めています」と言い、佐々木さんはこんな記述を紹介してくれた。

“日々の暮らしに追われている時、もうひとつの別の時間が流れている。それを悠久の自然と言っても良いだろう。そのことを知ることができたなら、いや想像でも心の片隅に意識することができたなら、それは生きてゆくうえでひとつの力になるような気がするのだ。”

「今この瞬間にも、ヘラジカやシロクマ、クジラなどの生き物がアラスカの大地で悠々と存在していることに想いを馳せると、セラピー的な効果を得られるんです。

ある意味、異世界にワープさせてくれる入り口みたいな本になっていると思っています。しばらく開かないときもありますが、常に本棚にはある1冊です」

今の延長線上で生きない

DSC02746

イリノイ工科大学デザイン大学院時代の佐々木さん。

提供:佐々木康裕

佐々木さんは早稲田大学の政治経済学部を卒業後、伊藤忠商事へ入社し、ベンチャー企業との新規事業立ち上げや経済産業省への出向を経験。約8年間勤めていたが、2013年にイリノイ工科大学デザイン大学院へ留学することを決意した。

1年間のコースでデザイン思考を集中的に学び、帰国後はTakramへ入社。ビジネスデザイナーとしての活動を本格的に展開し始める。

今日に至るまで、場所や組織を移りながら常に大きな変化と共に生きてきた佐々木さんだが、この本と出合ってからは“今の延長線上”で生きないことを大事にするようになったと言う。

「何も考えず、ある種成り行きで暮らしていける部分もあるとは思います。しかし、想像力を膨らませて、全く違うライフスタイルのことを考えて、あえてそこに身を投じたらどうなるかな? と実験を続けているような感覚で生きるようになりました。

留学も、僕のキャリアであればMBAを取るのが自然な流れだったと思うのですが、あえて別の領域にチャレンジして1から階段を登ってみようと思ったんです」

佐々木さんが留学した頃は、ダニエル・ピンクの『ハイコンセプト』が流行った時期でもあった。MBAではなくMFA(Master of Fine Arts。美術学修士)を取ることがこれからの時代を生き抜く鍵となる、と言われ始めた時期である。

しかし、新しい環境に飛び込み、全く新しい道に挑戦することは決して楽なことではない。一つひとつの大きな決断を行った佐々木さんの背景には、この本のこんな言葉があった。

“アラスカの美しい自然は、さまざまな人間の物語があるからこそ、より深い輝きを秘めている。[…] きっと、人はいつも、それぞれの光を探し求める長い旅の途上なのだ。”

「この言葉が、生きる指針になっています。いわゆる日本的社会規範ってあるじゃないですか。いい学校に行きなさいとか、安定した職に就きなさいとか。

そんな世界観の中で、ある種人生のすごろくみたいなものがある程度決まっているような感覚があったのですが、この本がすごろくの盤を拡張してくれました。この本と出合っていなかったら、今も小さな人生すごろくの中にいたかもしれません」

どんな文章を食べて育ったかがアウトプットにつながる

230427_44

佐々木さんは本書にブックカバーをかけていた。ボロボロになる度に買い直すため、本書は3冊目だと言う。

撮影:伊藤圭

星野道夫がアラスカへ拠点を移したのは、1970年代のことだった。インターネットもない中、彼が日本からアラスカに行って暮らした事実に佐々木さんは勇気付けられた。同時に、人の心を打つ写真や文章はどんな人から生まれるものなのかを肌で感じたと言う。

「星野さんの文章には優しさと愛とユーモアがあるんですよね。彼のキャラクターそのものも謙虚で美しくて、普通の人が目を向けないような弱いものとか、儚いものに目を向けている感じが素敵だと思っています」

そう言って、佐々木さんは印象に残っているこんな記述を紹介してくれた。

“長く、きびしい冬があると言うのはいいことだ。[…] もし一年中花が咲いているなら、人々はこれほど強い花に対する想いを持てないだろう。雪どけと共にいっせいに花が咲き始めるのは、長い冬の間、植物たちは雪の下ですっかり準備を整えていたからではないか。そして人の心もまた、暗黒の冬に、花々への想いをたっぷりと募らせているような気がする。[…] 冬を過ごした後の豊かな自然の恵みへの強烈な想い……そしてアカリスもまた、私たちと同じように長い冬を越したのだ”

佐々木さんは自身のメディアである『Lobsterr』でも自ら筆を執っているが、ビジネスにフォーカスした記事だったとしても、いわゆる“ただの解説”には留まらずどこか温もりのある言葉で文章を紡ぎ出す。

「どんな文章を食べて育ったかが、その人のアウトプットにつながる」と佐々木さんが言うように、そこには星野道夫のエッセンスが凝縮されているのかもしれない。

「地球の真裏の点」に想いを馳せられるか

230427_30

撮影:伊藤圭

ビジネスパーソンがこの本に触れる意味について、佐々木さんはこのように考える。

「さっきのアカリスの文章は特にそうなんですけれど、目の前にある自分たちの世界のことだけを考えるのではなくて、どんな存在に対してもフェアな優しい眼差しで見ることは大切だと感じています」

佐々木さんは、僧侶の松本紹圭さんから聞いた「インディアンの教えでは、一つの行動が7世代先にどんな影響を与えるのかを考える」という話がとても印象に残っているそうだ。その精神性は、この本にも詰まっているように感じられる。

また、佐々木さんは“antipodes(アンティポディーズ)”という言葉を教えてくれた。“地球の真裏の点”という意味を持つそうだが、一つの行動が7世代先にどんな影響を与えるか考えることと同じくらい大切な視点だと佐々木さんは言う。

「東京に暮らしています、といったことよりも、自分が地球の一員であることに思いを馳せられるかどうか。ビジネスパーソンがこの本に触れる意味は、そのような部分にもあるのではないでしょうか」

さまざまな冒険を乗り越えてきた佐々木さんは、今年で40歳を迎える。30歳の頃に留学してから10年が経ち、最近はこれからの10年間をどう生きるか考えることが増えたのだとか。

「これまでの10年間は、世の中の潮流とか社会からの期待とか、そういうものに応じて生きてきたなと思っていて。なので、これからの10年は今まで全然取り組んでこなかったこともやってみたい。詩を書くとか、小説を書くとか。頭ではなく、心でアウトプットして人の心に届けるようなことをやっていきたいと思っています」

最近の佐々木さんはプライベートな時間のほとんどを小説の読書に充てており、もはや“小説を読む間に仕事をする”といったライフスタイルが定着していると言う。愛読書はミランダ・ジュライの『あなたを選んでくれるもの』やルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引き書』だ。

佐々木さんは、この10年間でどのような冒険を繰り広げていくのだろうか。“ビジネスデザイナー”という肩書きも近々変えるかもしれないということだった。


Popular

あわせて読みたい

BUSINESS INSIDER JAPAN PRESS RELEASE - 取材の依頼などはこちらから送付して下さい

広告のお問い合わせ・媒体資料のお申し込み